くんせいくんのラボ日記

現役国公立大の理系大学院生「くんせい君」が地味に書いてるブログ。理系学生にとって必要な学部・大学院への入学から学生生活・研究について、そして就職や進路に関する耳寄り情報や地元北海道の有料情報,趣味のサブカル・アウトドア情報や感想などを幅広く呟いていくブログ。

少年よ、大地を燻せ。理系学生ブロガー屯田兵のプロフィール

このブログを運営している くんせい君@shimaenagalab)と申します.
北海道在住の燻製が大好きな大学院生で,
真面目に研究をする傍らで燻製をする日々を過ごしています.
 
研究の楽しさを知ったことで,倍率500倍の内定先を辞退して大学院に通っています.
※古いプロフィールですが,面白いので,そのまま残しています.

 

こんにちは。

北海道大学に在学中の理系学生ブロガー屯田兵です。

 

研究や燻製、旅など、好きなことをとことんしながら、現役理系学生の研究中心のラボ生活から発信するブログ「ラボログLabLog」を運営しています。

現在、燻製専門メディアを立ち上げ中。

 

この記事では、屯田兵の生い立ちから現在に至るまでを振り返り、現在なにをやっているか、将来何をしたいかをまとめました。

 

屯田兵って何者??

北海道が好き!

理系に進みたい!

学生を楽しみたい!

そんな人に読んでもらいたいです。

 少年よ、大地を燻せ。理系学生ブロガー屯田兵のプロフィール

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ロゴはabricotierさんに作っていただきました。

失敗から学んだココナラで良質なアイコンを作ってもらう方法!! - ラボログLabLog)

詳しくはこの記事から。

 

それでは早速始めましょう!

簡単な自己紹介

まずは簡単な自己紹介です。

屯田兵の特徴を3つ紹介!!

北海道が大好き

僕は北海道で生まれ、北海道で育ちました。

 

家はずっと札幌在住ですが、アウトドアな家族とのキャンプ、野球の遠征や、祖父母の実家(函館・恵庭)と、北海道あちこち行っていました。

 

もちろん大学に入り、免許を取ってからは自分でもドライブするようになり、一方で道外に出ることも多くなることで比較対象ができ、人混みが少なく、涼しく、自然が多く飯が旨い北海道が、より一層好きになりました。

 

とはいえ広い広い北海道、もっと知ってもっと発信していきたい。。。

 

理系学生

僕は現役の理系学生です。

小さい頃から国語や社会が好きですが、算数や理科が得意でした。

 

本やマンガ、美術や料理、アウトドアやスポーツが好きですが、なぜか数学や物理が得意だったので、理系の分野に進みました。

 

全く興味のなかった理系分野ですが、半年前に「自然災害による被害を少しでも減らしたい」という気持ちが芽生え、研究が好きになりました。

 

今は気象系、防災系の研究を行なってます!

 

何でもやってみたい

僕の行動の大きな源になっている気持ちは「面白そう!やってみたい!」です!

 

色々なことに手を出しがちですが、自然と淘汰されていきます。

すぐやめる物と、長く続けるものに分かれます。

 

しかし、オタク気質な部分があるため、一度興味を持つと徹底的に取り組んでしまいます。

 

今、一番ハマっているのは燻製です!

大学3年のキャンプ以来、とにかくハマっています!

 

 

生い立ち

それでは実際の生い立ちを紹介します!

自分のライフラインチャートを作り、参考にしながら書きました。

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引用:最高の自分になろう! » 自分の価値観はなんだろうか 1

 

生まれてから物心がつくまで

正直、この時期の記憶はほとんどありません!

 

聞いたエピソードとして、

「生まれた時は未熟児だったけど、元気すぎてすぐ保育器から出される。」

「人見知りをしなく、知らない人にもすぐ懐く。」

「飽きっぽくて、すぐに違うおもちゃで遊んじゃう。」

「落ち着きなくて何度も迷子になるが、無事生還できてる。」

「動物園のフクロウの前に6時間滞在する」(←謎)

 

人間ってあまり小さい頃から性格は変わらないのかもしれませんね。

 

優等生だった小中学生

記憶があるのは小学生くらいから。

この頃の僕は、わりと優等生だったと思います。

元気が良く明るくて、学級代表や学習発表会なども積極的。

成績も良く、ほぼほぼ満点だったような(適当な)記憶があります。

 

この頃から、テニス、スキー、スノーボード、体操、水泳などなど色々なスポーツをやっていましたが、小学校4年生で始めた野球に徐々にハマっていきました!

 

できたばかりの弱いチームでしたが、プライベートでも野球でもずっと一緒にいるかなり仲のいい友達に恵まれ楽しく生きてきました

 

また、小学校から中学にかけ自宅で勉強をした記憶はほとんどありませんが、塾に通っていました。

 

"ババ塾"と呼ばれるその塾は、会社で働く女性が平日の夜に近所の小中学生4,5人ほどに勉強を教える個人塾でした。

 

ババ塾の特徴は、好きなことを勉強する

この経験が僕の原点かと思います。

 

塾での教材や指定強化はなく、自分が学びたいことを持ち込んで先生と一緒に勉強する。

あるいは、2+3の答えを考えるのではなく2+3の問題を考える、など一人一人の興味や思考を大事にしてくれていました。

 

 

中学校でも変わらず、成績優秀で課外活動も活発と言うことなし、ちょいモテ期がこの時来たと今振り返ると思いました。

 

そして仲の良い友達がそのまま同じ高校へ進むことに違和感を感じ、僕は別の少しレベルの高く、野球の強い高校への進学を決意。

 

成績優秀な僕は推薦入試を志望しましたが、結果は不合格。

1~2週間程度ですが、眉毛を剃ったり髪をいじったり、若干グレました(笑)

しかし、意外と真面目な僕はオラつく自分が落ち着かなく、一般入試で再受験のため猛勉強。

 

見事、一般受験で推薦と同じ高校に合格できました。

 

がむしゃらになれた高校生

高校入学後は、厳しい環境が待っていました。

中学までとはカラダ、レベルの違う高校野球。

硬式球の重み、スピード、練習時間の長さや部員の多さ。

 

中学が同じで自分の尊敬していた先輩が一度もベンチに入れず引退していた姿を見て、僕は野球に専念し、猛練習しました。

 

自主的に朝練も取り入れ、朝7時から練習をし、夜の練習が終わるのは20時と野球漬けの毎日を過ごしました。

 

2年生まで一度もベンチに入れず、試合に出るのはカラダの大きい選手、肩の強い選手、足の速い選手。

カラダが小さく、肩の弱い自分ができるのは小技や基礎(バントや走塁、守備など)だけでした。

 

しかし、それらもレギュラー争いのプレッシャー、監督への怯えなどでなかなか成果が出ませんでしたが、部内の誰よりも練習をしました。

 

そんな努力が実を結び、3年の春にようやくもらえた背番号8番。

ついに俺の時代!そう思ったものの、世界大会経験者の1年生にレギュラーを取られそのまま1試合も出ることなく大会が終了しました。

 

なんとか自分の出番を、と思い練習を続け迎えた最後の大会の直前に事件が起こりました。

いつもの練習後の整備中に僕は知らぬ間に整備済みの部分を踏んでしまいました。

 

それに気づかず部室に帰ると、謝罪がなかったことに憤怒した同期がやってきました。

踏んでいないの一点張りの僕に怒りが限界に達した彼は部室の窓ガラスを叩き割りました。

 

結果として、最後は部内で話し合い、監督命令により背番号の返却。

僕の最期の夏はここで終わりました

 

 

「もう部活やめる」

 

大会直前にこう話す僕を止めてくれたのは物理の先生でした。

先生は野球部の顧問ながら過去の病気が理由で練習には来ない先生。

暖かい人柄で僕がもっとも信頼を寄せていた人。

 

「なんで春の大会にお前に背番号一桁を与えたかわかるか?誰よりもがむしゃらに頑張るお前を応援したかったからじゃないのか。今、辞めたらその気持ちはどうなる?今までの努力はどうなる?ここまで一生懸命やってきたんだから、最期までお前らしく走り抜けたらどうなんだ。」

 

そのまま床屋に駆け込み、頭を剃り練習に向かいました。

 

「バッティングピッチャーやらせてください。」

 

最期の引退まで、毎日500球以上、仲間のために投げ込みました。

 

 

 

予選決勝で敗退し、引退したあとは受験勉強に打ち込みました。

 

当時下から2番目の野球部だった僕は、

「現役で北大に合格して見返してやろう。」

この一心で毎日、勉強し続けました。

 

徹底した計画と実践によって、徐々に伸びる成績。

最後の模試では学年2位まで上りました。

 

 

しかし北大の前期試験は不合格。

 

自然と焦りはありませんでした。

やることやってきたから、絶対に受かる。

 

 

見事に後期試験で北海道大学に合格しました。

 

がむしゃらに走り続けた高校生活が報われた瞬間でした。

 

好きなことだけをし続けた大学4年間

それからの大学生活は天国そのものでした。

 

大学から始めたラクロスは、朝練だから放課後を自由に使えるという理由だけで入部を決めました。

 

その思惑通り、放課後は、お世話になった予備校でのバイト、寿司屋のバイト、アパレルでのバイト、カフェでのバイト、野球場でのバイトなどたくさんの好きなバイトを経験し、美術館や花火大会、建築系など興味のあるボランティアにも参加し続けました。

勉強は全くしませんでした。

 

そして一番ハマったラクロスでは、100人規模のチームに置いて2年生からスタメンになり大会でもベストプレーヤーに選ばれたりと順調、全国大会も経験しました。

学生連盟でも委員長を務めたり、海外にいったりとラクロス漬けの毎日でした。

 

そんなある遠征中に、違和感とともに膝から崩れ落ちました。

前十字靭帯断裂、最期の年の2月のことでした。

 

しかし今までの成績にそこそこ満足していた僕は、悲観的になることなく多方面からラクロスに携わりリハビリを続けました。

 

就職活動では、受けた5社中4社から内定をいただき、500倍だった第一志望の企業に入社を決意。

 

怪我をしたものの充実した毎日でした。

 

人生最大の挫折を味わった卒業前

卒業の半年前、最期の大会期間中から少しずつ壁に当たります。

 

リハビリをしてもなかなかよくならない怪我、自分以外が一丸となる同期、思うような結果の出ない学生連盟の活動などにより、ラクロスが辛くなりました。

 

進路に対して意見が食い違い、今まで勉強をしなかったツケで思うように研究も進まないことで研究室も辛くなりました。

 

居心地のよかったバイトを辞め、お金を稼ぐため始めた深夜のバイトは、同僚やお客の治安や雰囲気が悪く徐々に心も荒んでいきました。

 

何もかもがうまくいかない。

どこにも居場所がない。

 

そう思っているうちに部活を引退し、バイトを辞め、残すは研究だけになりました。

 

せめて卒論でいい結果を出そう。

そう思った僕は研究に真面目に取り組み、少しずつ上向きになりました。

学んだことが知識として、やったことが結果として、そして全てが経験として蓄積されていく感覚がありました。

 

そんな時に今まで怒られてばかりの先生から初めて褒められました。

 

「最近すごくいいよ、確実に成長してきてるよ。就職するまでにもっと頑張って社会人になってからも頑張れよ。」

 

 

とはいえ、中途半端な研究成果、不完全燃焼の部活、心の折れた大学生活。

 

「もう一度大学生をやろう。」

 

 

そう思った僕は年明けの先生自宅に訪問し、相談。

内定企業に辞退したいと伝えました。

 

そこからは、双方との話し合いの中、研究を続け、企業の人と会い、自分の進路と向き合いました。

 

心が折れた時、授業に行けなかったことにより単位も足りない。ひとまず取りきろう。

 

仕事と研究の両立はできないか、こんな提案もありました。

 

どうしよう、自分の進路だ、どうすればいいんだ。

 

何がしたいんだ?何になりたいんだ?

 

 

そんな葛藤の中、祖父が亡くなりました。

突然のガン申告から急激に悪化したため家族はつきっきりでした。

 

もちろん就職し引っ越したり、単位を回収する余裕がなかったこともありますが、今やりたいのは研究だったと思いました。

 

僕は、大学に残ることを決めました。

 

 

現在していること

そんな経緯で大学に残り、今していることは研究と燻製です。

 

自然災害から守りたい

僕が現在、多くの時間を使っているのは研究。

 

「自然災害から少しでも多くの人を守りたい。」

そういう思いで戦う人を間近で見て、現場を見て、自分が携わって思いました。

 

勉強して社会の役に立ちたい、と。

自分の研究を深め、提案していくことで少しでも災害リスクを減らせ、いい社会になってほしいと思います。

 

そして研究を通して成長したい、と。

研究室の運営や、論文の執筆、議論、発表様々なことを通してもっと立派な人間になりたいと思います。

 

そういう思いで今はひとまずしばらく研究をしようと思います。

 

身近な人に小さな幸せを届けたい

防災の研究では、住んでいる多くの人のリスクを軽減させます。

災害によって発生する被害を最小限に食い止めます。

 

つまり-1→0ですね。

 

僕はさらに0→1も与えたいです。

美味しいものを作り、周りの人に小さな幸せを届ける。

それが燻製でした。

 

 

研究室ではパソコンに向かうことが多いです。

観測や見学以外は解析が中心で、デスクワークです。

 

今までは体育会系だったこともあり動かないと疲れます。

同じ場所にいるとストレスがたまります。

運動や食事は心身ともに健康的ですので、そういった面でも大事ですね! 

 

ちなみに燻製は、今春サークルを立ち上げました。

これから燻製バーで働き、燻製協会でインターンを始めます!

燻製メディアも作りたいですね。

 

将来の夢

僕の将来の夢は、村長になること。

 

自分が大好きなものを集めて、綺麗な星を見て、気持ちのいい温泉に入って、美味しいものを食べて、好きな人と語り合って死にたいな。

 

もちろん自然災害のリスクが少ない安心な村。

そんな村を世界のあちこちに作りたい。

そのどこかで、安らかに死にたいです。

 

まとめ

今は、一生懸命勉強して、発信して、財産として蓄えよう。

そんな時期です。

 

研究で人々の自然災害のリスクを減らし、

燻製で人々に小さな幸せを届けたい。

 

 

話してみたい!人は、ライン@ やTwitterをどうぞ!

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TONDENHEI@燻製学生ブロガー (@otondenhey) | Twitter

 

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