このブログを運営している くんせい君(@shimaenagalab)と申します.
北海道在住の燻製が大好きな大学院生で,
真面目に研究をする傍らで燻製をする日々を過ごしています.
研究の楽しさを知ったことで,倍率500倍の内定先を辞退して大学院に通っています.
※古いプロフィールですが,面白いので,そのまま残しています.
このブログに興味を持ってくれたみなさんに僕のことを知って欲しくプロフィール記事を書きました。
あ、本人知ってるぞ!という方は、個人的にさりげなく教えてください。笑
「屯田兵のように開拓し続ける人生でありたい」くんせい君のプロフィール
まずは簡単なプロフィールの紹介、そして生い立ちから現在に至るまで、どういう人生を歩み、何を考えているのかを綴りました。
くんせい君が何者なのか、わかるはずです!
簡単なプロフィール
くんせい君(@otondenhey)
1994年7月22日生まれの23歳の男の子。
北海道で生まれ、北海道で育ち、北海道大学工学院に在学中の生粋の道産子。
趣味は燻製とラクロス、それから美味しいものを食べること。
好きな食べ物は、ホルモンとカレーと甘いもの、もちろん一番は燻製。
大学院では、土木専攻。基本は勉強好きだけど、なかなかできない。
インプットが多い生活の中で、アウトプットを増やそうと思い、考えや経験を文字に起こし始めた。
せっかくなら財産化していこうと思い、ブログを再開しました。
北海道を開拓した屯田兵のように、雨にも負けず風にも負けず、日々なにかを開拓し続ける人生でありたい。
どうして、今の僕があるのか、それでは僕の生い立ちをご覧ください!
小さいが体力はあった乳幼児
僕が生まれたのは、北海道札幌市の病院。
我が家の長男として生まれました。
生まれた時の体重は、2000キロ台で未熟児として保育器に入ったみたいです。
しかし元気だから大丈夫、という理由ですぐに出されたそうでした。
その後も人見知りをせず、あちこちに行っては知らない人にも笑顔を振りまいていたそう。
優しくモテた幼稚園児
幼稚園ではかなりモテたご様子。
お母さん曰く、「くんせい君が好きなことがクラスのブームになるほど」モテたらしい。特に女の子には優しかったようでした。
おかしいな、どこで道を踏み外したんだろう(不思議)。
色々なことに触れ続けた小学生
小学生の頃は、色々なことに挑戦させてもらいました!
テニス、水泳、野球、体操、スキー、スノーボードなどなど、スポーツ中心の習い事で本当によく活発に動いておりました。
ゲームも好きだったので友達と遊ぶか習い事かで勉強をした記憶はありませんでした。
この頃に、家族でよくキャンプをした記憶があり、燻製の起源はここかと思っております。
全てが順調に歩んだ中学生
中学生になると、少年野球のメンバーと共に野球部に入り他のスポーツは一旦やめて、高校受験が学校の成績と入試の点数で決まるのでテスト前は勉強をするようになりました!
この頃は、気の合う仲間と同じ部活で楽しかっただけでなく、2年生の秋には初めての彼女ができたり、成績も常に一桁には入るようになり、チームで4番を打つようになったりと順調でした。
卒業文集には、好きな食べ物がホルモン、好きな女性はこじはると書いてあり、好みはこの時期からほとんど変わっていないことが判明しました。
今でも大好きです、こじはる。
ただ、ここで一つの疑問を持ちました。
「居心地がいいだけのこのままでいいのか?」
勉強も一位になりAランク(ほぼオール5)、野球部でも中心選手だったので、全てが順調。
人間関係の悩みもないが、目標もないまま、部活の仲間と近所の高校に進学しようとしていた中で生まれた疑問でした。
「せっかくなら、勉強も部活もレベルの高いところでやって揉まれたい。」
そう思った僕は、友達のいない進学校へ1人進むことにしました。
人生初の挫折を味わった高校生
野球も勉強も落ちこぼれに
1人進学校へ進んだ僕を待ち受けていたのは大きな壁でした。
全く理解が追いつかない授業、取れない点数。
各地区から集まる有名選手、元プロ野球だった監督。
何をやってもうまくいかない。
いや、何もかもがうまくいく気がしない。
そんな状況でした。
週7回ある練習と才能の差を埋めるための朝練。
気付けば寝るだけの授業、適当に答えるテスト。
監督の言われるがままに動いたつもりでミスを連発。
本当につらい、なんのためにやっているんだろう、と考えるだけの日々。
2年の夏までベンチ入りすらできない現実の中、3年春にやっともらえた一桁背番号。
しかしスーパールーキーの登場で公式戦の出場機会はなし。
そして3年の夏には、ある事件が起こりました。
グラウンド整備中にうっかり入ってしまったことに気付かず帰った僕に激怒したチームメイトが部室の窓を割ってしまったんです。
関わっていた人は、全員出場停止。
そう、最期の大会はベンチにも入れず終わってしまいました。
恩師からもらった言葉
最期の大会のベンチにすら入れないことを知った僕は悩みました。
「辞めたい、本当にもう無理だ。」
ツラかった高校生活のわずかな希望が、
「試合に出て支えてくれたお母さんを喜ばせてあげたい。」
だったので、すでに叶わなくなり、
「お母さん、ごめん明日辞めるわ。」
と言ってしまい、母も何も言えない様子でした。
翌日、部活の顧問のところへ話しに行きました。
監督でも部長でもなく、普段はグラウンドへ来ない顧問のところへ。
その時にかけてもらった言葉。
「なんで監督はお前に一桁の背番号を与えたと思う?
お前が頑張っていたからだろう。
体も小さく肩も弱いお前が毎朝誰よりも早く来てひたむきに頑張っていたからあげたんだろう。
ここまで努力してることは誰もが認めてるよ。
今辞めたらそれを否定することになるぞ。
最期の数日間、自分にできることはないのか?
やりきってから、次の一歩を踏み出して次こそ成功したらいいじゃないか。」
僕は衝撃でした。
自分の努力を見てくれた人がいたんだ。
自分にはまだ居場所があるんだ。
まだ次の挑戦ができる権利があるんだ。
こんなところじゃ終われない、前を向いて自分の足で歩き出そう。
そのまま美容院へ駆け込み、5厘カット(青くなるやつ)に頭を丸めてもらい、この日から毎日ひたすらバッティング投手を務めました。
引退する前日まで投げ込み、僕の方はもう投げれなくなるまでボロボロになりました。
でも、一切の後悔はありません。
自分にできることを最期までやりきった。
その想いがあったから。
次の一歩を踏み出した大学受験
引退した日に家に帰ると、まずは受験計画を立てました。
目標は北海道大学。家から通える唯一の旧帝大。
野球部から現役合格は今までいませんでした。
僕は学年で300番台(320人)になるほど落ちこぼれ、英語の試験は60/200点でした。
このままではいけないと思い、親に懇願し予備校に通わせてもらうことに。
学校の授業は試験対策をしていないし、独学するには時間がない。
一番北大合格を出している予備校の夏期講習に申し込みました。
入塾し、まずやったことは全教科のコレだっていう先生に相談し学習計画を立て、勉強法を聞くこと。
時間も基礎も経験もない僕は、実践可能であろう計画と、効率の良い勉強法をまずは手に入れました。
あとは、ひたすら勉強。
予習→授業→復讐のサイクルをひたすら回す毎日。
この勉強法は、そのうち記事にします。
その結果、夏にE判定だったが、秋にはC判定。
センター試験で、3割しか取れない英語は9割まで伸び、物理は満点を取れました!
前期で落ちたものの、後期試験まで粘り二次で驚異の8割で合格!!
現役合格を達成したのでした!!
高校の経験を活かした大学生
勉強そっちのけで再び部活へ
勉強のコツを掴んだ僕は、大学でも学びたいことを学ぶんだ!!
と、勢いよく思っていたものの、大学の授業はツマラナイ。
予備校で詰め込まれた90分間を経験すると、大学のゆったりした90分間は地獄。
90分あったら札幌-東京間を移動できるわ!!
と思い、部活に打ち込む日々。
入ったのは、朝練がメインのラクロス部。
放課後は自由に活動できるのが魅力だった。
今度は、部活でも同じ過ちをしたくないと思い、「自分で考えて行動する」ことを常に実践して来た。
自分1人で関東や関西の強豪校の練習へ乗り込む武者修行や、そこで知り合った現役の日本代表選手を北海道へ招いてクリニックも行なった。
委員会活動や部活の運営にも力を入れ、北海道の委員長や部活の班長などにも任命され、とにかく自分で考えたことを行動に移してた。
結果にも恵まれ、2年生ながら北海道のベストプレイヤーにも選ばれた。
3年生では全国準決勝にも出場した。
上手くいってた、4年目は日本一になりたい。
そんな時、ある事故が起こった。
一つの怪我が人生を変えた
最期のシーズンに入る前の冬、試合中に前十字靭帯を断裂した。
全治10ヶ月、最期のリーグ戦には間に合わない計算だった。
さらに就活と被り、手術の時期も遅れたため全国大会にも間に合わなかった。
最期の大会でまた、試合に出れない悔しさ。
大きくなる周りとの温度差。
外からは明るく見えるけど、僕は大きく落ち込んでいた。
気づけば卒業間近で単位をなんとか回収してる段階。
周りは単位も取り終わり、なんで自分だけ...
そう思う日々。
また始まった、勉強も運動もできない。
自分って本当にダメだなぁ。
そう思った時に唯一救いだったのが、研究だった。
最初は先生とも上手くいってなかったが、勉強も部活もダメだったから取り戻したい!と思って頑張った研究で少しずつ成果が出始めた。
「今の研究は、社会の役に立っているんだ。必要とされているんだ。」
そう思った僕は、倍率500倍を勝ち抜いた超人気企業の内定を辞退した。
人生を大きく考え直した1年間
4年生の冬に色々悩み学校にもいかなくなった僕はいわゆる卒業留年になった。
そしてこの1年を大学5年生として過ごすことが決まった。
この時、あるものに出会った。
それが、ブログだった。
きっかけは同じ大学を卒業した一歳年上のプロブロガー
おもしろハンターを運営するテツヤマモトだ。
自分の生き方や考え方を発信するの楽しそう!!
ここで意外かもしれないが、僕は面白い。
話の引き出しも多く、熱しやすく冷めやすいため、色々と話せることがある。
これは自分のためにある!!ついでにお金も欲しい!!
そう思ってブログを始めました。
半年で、るってぃさんやあんちゃさんに会ったり、ミニマリストしぶさんに携帯壊してもらったり、ヒキコモリズム井上さんのサロンに入ってコンサル受けたりしました。
研究面でも、査読付き(何回も審査がある)論文を1年間で2本投稿した。
修士2年間で1本出せば奨学金免除になる可能性があるレベル。
研究成果としてはまずまずだった。
さぁ大学院試験を受けるだけだと思った時、大きなミスをしてしまった。
前期試験は英語の試験の点数が足りず足切りにあってしまった。
ナンテコッタ。
後期試験は受験申し込み期日を間違えてそもそも受けれなかった。
ナンジャソレハ。
盛大なミス。これは病気だ。笑笑
いろんな意味でもう少しキチンと生きようと思う1年間だった。
まぁなんとか単位は取りきり、無事卒業できたのはよかったことです。
新たな挑戦をしている大学院
盛大なミスで試験を受けれなかった僕は今何してるの??
と、よく聞かれます。
大学院に進んだ
大学院で研究生をしています。
研究生っていうのは、正規生ではないけど研究室で研究ができたり学校をうろちょろできる人のこと。
授業がないので、案外心地よい。
今年も春先に一本論文を投稿し、また新たな一歩を踏み出しました。
英語を含めた試験勉強もコツコツ始め、「なんだ...勉強って楽しいやん!!!」状態になっています。
今こそ大学受験のノウハウを使う時だ!!
研究は、好きだ。
研究が好きな理由として、財産を積み上げる感覚がある。
— くんせいくん🥝博士課程1年 (@shimaenagalab) 2018年4月17日
先行研究→実験や観測→解析→論文発表の流れがすごく良い。
インプットは自分の知識として、実験や観測は材料として、解析は経験として、論文は実績として積み重なる。
サイクルを回して自分を高めて、上手くいけば社会のルールも変えれる。
次こそ正規生になって、もっとしっかり学びたい。
博士課程にも進み、もっと深めて、周りにも還元したい。
そしてもう一つ頑張っていることがあります。
ラクロスを再開した
怪我をして最期のシーズンを棒に振り、5年目はなんとなーくたまにやってたくらいだった。
最後に失敗で終わるのはいやだ!ということで、もう一度成功したいと思い、ラクロスを再開しました。
今回は北海道選抜のヘッドコーチをさせてもらえることに。
これは今まで以上に責任が大きい。
今までの自分を変えるため、ラクロス界にいい影響を与えるため自分で考えて行動することに加えて、周りを巻き込み、次世代に伝わるように動くことを意識してます。
今の自分がどうこうだけじゃなく、今回の活動と結果を踏まえ次にやる人が越えていけるように、斬新に、かつ慎重に歩んでいます。
これから
ここまで23年間生きてきて気づいたことがあります。
一つは、自分で考えて行動するのは大切なことだし、それができたら成果もついてくること。
人の指示に従うだけなんてつまらない。
たとえやらなくちゃいけないことがあるなら、自分で考えて納得した上で物事を進めたい。
あるいは、人で納得した時はとりあえずやってみる。
興味を持ったことに強くアプローチできるのは大きな強み、これからも活かしていこう。
二つ目は、まだまだ自分は甘いこと。
試験を申し込み忘れたこともそうだし、何かを進める上で、「あっ忘れてた」「あっミスった」が連発してしまう。
最終的には、サポートしてくれる人を見つければいいのかもしれない。
けれど、最低限、自分でできるようになろう。
自己管理!!
増やすのは得意だから、減らすのが今年のテーマ。
と、自分を客観視してみたつもりだけど、これからどうなるかはわからない。
やりたいことはたくさんあるから、後日リストでも作ろう。
仕事は、研究と部活つまり勉強と体力が生かせる仕事がいいなぁ。
宇宙飛行士とか村長とかかっこいいなぁ。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
どんなコメントでもいいので、何かあったら教えてくださいね!!
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